大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和37年(う)1453号 判決

被告人 須永安宣

〔抄 録〕

所論は、原判決が、被告人の被害者佐藤正志に対する本件傷害を未必の故意に出でたものと認定したのは事実誤認である、即ち被告人はもともと自己の自動車を右佐藤正志の自動車に接触衝突させる考えはなく、ただ同自動車の進路直前に急に進出しその運転者を衝突の危険で脅かしたうえ、衝突寸前に転把し同自動車の右側をすれすれに通過する意図であつたもので暴行の故意がなく、ただ不注意により右意図に添う運転を誤り、同自動車に接触して本件傷害の結果を招いたのであるから、本件傷害は、傷害罪に問擬すべきものでなく、被告人の自動車運転者としての注意義務違反に因るものとして、業務上過失傷害を以つて論ずべきである、と主張するものである。

よつて記録を精査して按ずるに、被告人は大型貨物自動車(ダンプ型)を運転し約五〇粁の時速で道路のセンターラインの左側を進行して本件事故現場の手前にさしかかつたとき前方からセンターラインの右側を対進して来た普通乗用自動車がすれ違いの際の減光規則を守らず前照灯を強い照明のままにして進行し来たものと考えて、憤慨し、自車を突然に右乗用車の進路直前に進出させ、同乗用車の運転者を衝突の危険を以つて脅かしたうえ、瞬間的に転把して同乗用車の右側をすれすれに通過し、以つて同乗用車の運転者の減光規則違反をとがめて反省を求めようと意図し、右乗用車と二、三〇米の距離に接近した際故意に自車の把手を大きく右に転し、センターラインを越えて深く道路右側に突進し、上向きの強い照明にした自車の前照灯で右乗用車の真正面を照射しながら同乗用車の進路直前に出て、衝突寸前の危険な状態を作為して同乗用車の運転者を脅したうえ、突嗟に左方に転把して同乗用車の右側をすれすれに通過する措置をとつたが、右乗用車の進路前方への突入が深過ぎたため、右乗用車の運転者が驚愕して急拠進路の左端すれすれに転しながら急停車措置をとつたに拘らず、被告人は自車の右側部を右乗用車の右側部に接触させ、その衝撃により同乗用車の運転者佐藤正志に加療約一五日を要する右側胸部挫傷を負わせるに至つた事実が認められるのである。而して被告人の右行為は、たとえ衝突接触の寸前に自車を巧みに転把してその危険を回避する措置をとる意図であつたにしても、自ら目測或は操作を誤るか、相手方乗用車の運転者が驚愕狼狽して適切な操作をなし得ないかして、衝突、接触の事故を惹起し、これに乗車中の者に傷害を被らしめる可能性が極めて大きいのであつて、かかる行為がかかる危険性を有することは自動車運転者の当然の常識に属するところであり、またかかる行為自体を認識しながらこれを敢えてするからには、かかる危険な結果を生ずるかも知れないとの認識即ち未必の故意をも当然これを有していたものと認めざるを得ないのであり、現に被告人も検察官に対し、「自分は必ずぶつつけてやろうと云う気持ではなかつたが、急にハンドルを切つて行けば、普通なら相手の車がびつくりしてハンドルを左に切つてぶつつかるのを避けようとする筈だが、場合によつては驚いてそのままハンドルを切る余裕もなく若しかしたら自分の車が相手の車にぶつかるかもしれないと云う気持が自分にあつた」旨及び「自分の車がぶつかつても自分のはダンプであるし相手の車は小型であるから自分の方は大したことはないと思つた」旨述べて未必の故意を肯定しているのである。所論は、被告人の右供述は、検察官が被告人の法律的無知に乗じ、被告人の事後の反省に基く述懐判断を事前の判断として是認させたもので、真実は事前の思考判断を述べたものではなく、従つてこれを以つて被告人の未必の故意の立証資料となし得べきでない旨主張するけれども、被告人の右供述は、右犯行当時の意識乃至判断をありのままに供述したものであることは、その供述の内容自体に照らすも自から明らかである。所論はまた、被告人の前記所為が相手方乗用車の運転者を衝突の危険を以つて脅かすだけで、衝突寸前に転把してこれを避ける意図に出でたに拘らず、不注意により右意図に添う操作を誤り本件接触事故を惹起したのであるから、これは業務上の過失行為と認むべきである、と主張するけれども、被告人の前記運転措置は、正常の業務上の運転行為とは異り、暴行或は脅迫の手段としての行為であり、従つて右運転措置により惹起した本件傷害は、これを被告人の自動車運転者としての業務上の過失行為として論し得べき筋合のものではないのである。されば原判決が、被告人の犯した本件傷害につき未必の故意を認めこれを傷害罪として処断したことは固より正当であつて、事実誤認の廉はいささかもなく、所論は理由がない。

(斉藤 関谷 植村)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!